更新日 2017.05.17
東日本大震災支援チャリテイ(第7回) 出品作品 ハガキ大
ヤンバルクイナ(アクリル) 桜一枝(水彩) ハイビスカス(水彩)
出品作 「山原(やんばる)高江の森 Ⅰ」 アクリル F50
出品作 「山原(やんばる)高江の森 Ⅱ」 アクリルP50
第69回日本アンデパンダン展 2016.03.16~28 国立新美術館
出品作 「民主主義って何だ」 油彩 F100
第68回日本アンデパンダン展 2015.03.18~30 国立新美術館
出品作 「福島・富岡駅周辺 F1から10km」 油彩 F80
2014/10 に美術科平和会議のスケッチの旅で富岡を訪れた。居住禁止区 域で震災後全く放置され、除染もされていない。昼間だけ立ち入りを許されてスケッチした。3年半も放置されていた被災地。電車の架線の電信柱は残っていたが・・・。
第67回日本アンデパンダン展(2014/3)は財政的理由にて不出品。
第66回日本アンデパンダン展 2013.3 国立新美術館
「核のゴミⅠ」
油彩F50
原発で使われた使用済核燃料棒を二重に金属製容器に詰め込んで廃棄処分したいのだが、行き場所がない。
「核のゴミⅡ」
油彩 F50
使用済み核燃料棒を詰め込んだ容器を地中深くに埋め込むというが、火山国の日本の地下は岩盤が不安定で、適した箇所はない。
第65回日本アンデパンダン展 2012.3 国立新美術館
「鎮魂」
油彩 F50
東日本大震災被災地を見てまわった。大地震と大津波の被害は想像を絶するものだった。田畑も住宅も商店街も工場も魚市場もすべて破壊され、流されていた。たくさんの住民も流され犠牲となった。
「生きて」油彩 F50
第64回日本アンデパンダン展 2011.3 国立新美術館
「首里城壊滅1945.5」
油彩F50
1945年5月、米軍は艦砲射撃と空襲で爆弾の雨を浴びせ、沖縄西海岸から上陸。まず、日本軍沖縄司令本部のある首里城を壊滅させた。砲弾・爆弾の炸裂した跡にできた無数の穴が残った。
「ガマ(洞穴) 1945.6」
油彩 F100
沖縄の人々は、沖縄南部に追い詰められ、ガマ(自然にできた石灰岩の洞穴)に隠れたが、米軍は降伏を迫り、応じなければ手榴弾を投げ込み、火炎放射銃を放った。住民は日本軍に集団自決を迫られた箇所もあったという。
第63回日本アンデパンダン展 2010.3 国立新美術館
「一坪たりとも」
油彩 P100
百里基地は憲法違反と叫び、田畑を一坪も買収に応じていない農民。今も稲、野菜を栽培している。
毎日、自衛隊のジェット機が訓練と称して爆音を轟かせて飛び回っている。ジェット機の燃料は高価高質で、税金の無駄遣いは酷いもの。
第62回日本アンデパンダン展 2009.3 国立新美術館
「持ち寄りライブーー森にて」
油彩F100
山中湖湖畔の小山の中腹の喫茶店で毎年近所の人々がそれぞれ好きな楽器を持ち寄り、個人、グループごとに演奏し鑑賞し合っている。喫茶店の周りの林には小鳥たちや鹿たちが聴きに来ている。まるで森の音楽会だ。
第61回日本アンデパンダン展 2008.03 国立新美術館
「津軽世去れ」
油彩 P100
発熱のため若くして全盲を患った踊正太郎さんのライブを成田市小寺本堂で聴く機会があった。
津軽三味線の撥さばきも鮮やかに奏でられる「津軽じょんがら節」などが私の心を打った。
彼は津軽三味線全国大会で何回も優勝している。
瞽女、ボサスも通ったであろう東北の冬の日本海を二度訪れ、取材した。
第60回日本アンデパンダン展 2007.03 東京都美術館
「生きものいっぱいの田んぼⅠ」
油彩 F50
稲の無農薬、不耕起栽培を研究、採算を取れるまでに頑張った農民。
ミミズ、カエル、ミズスマシ、ザリガニ、メダカ、イナゴ、トンボなど生き物いっぱいの田んぼだ。
稲刈りあとにはカエルやザリガニなどを狙って白サギがわんさと集まってくる。
「生きものいっぱいの田んぼⅡ」
油彩 F50
生き物いっぱいの田んぼ ではあるが、この取り組みはほんの一部であって、化学肥料、化学農薬まみれの栽培がまだ蔓延し、日本の農政は農業つぶしを進行させている。
第59回日本アンデパンダン展 2006.03 東京都美術館
「若き養鶏家Ⅰ」
油彩 P50
山合いの地で化学飼料無添加、平飼いで鶏を育て、卵を販売している若き養鶏家夫婦。
「若き養鶏家Ⅱ」
油彩 P50
第58回日本アンデパンダン展 2005.03 東京都美術館
初出品作
「ボランテイア」
油彩 F50
田舎暮らしブームで急増した、街から転居してきた新住民。
歳月が経るごとに高年齢化・単身化が進み、新住民の見守りが課題となってきた。その見守り訪問役をすすんで引き受けてボランテイア活動をしているご婦人。